サッカー×補欠

補欠くんでは終われねぇ!Jリーガーの補欠ストーリー

はじめに

1学年50名からなるジュニアユースチームで補欠の長男。レギュラー争いという分厚い壁にはね返され続けています。誰だって試合に出たいし、補欠になんかなりたくねぇ!諦めたら試合終了。そんな補欠経験から何を学ぶのか?今回は超有名サッカー選手の補欠経験をネット記事などで読んでみて、わかったことを紹介します。

サッカーを続けていると、誰にだって壁にぶち当たる。高いレベルを目指すのであれば決して避けては通れない。

レギュラー争いという大きな壁に跳ね返された時、選手はどう反応するのか?自信を失くし不貞腐れて別の道に進むのか。悔しさを味わい必死になって壁を乗り越えようともがくのか。

超有名選手の補欠ストーリーから学ぶ、(我が家の長男を含む)補欠くん応援企画です。

この記事を書いたのはこんな人

 ロクバン

  • 現在、中高一貫校の英語教師。この間、サッカー部顧問の経験あり。
  • 九州地方在住の二児の父親。
  • 長男は中高一貫校に通いながら強豪クラブチームに入団するも、補欠を経験。ビッグマウスですが、医学進学を目指して奮闘中。
  • 長男のサッカーと勉強の両立をサポートする中で得た、知識や経験を情報発信。
  • サッカー少年達が勉強の大切さに気づき、勉強を頑張るのを応援することを(大げさですが)このブログのミッションとしています。




【ストーリー①】中村俊輔選手の場合

「気づいて考えて行動する」

中村俊輔選手が横浜マリノスユースに昇格できずに、桐光学園に進学したのは余りにも有名な話です。

その後、全国高校サッカー選手権大会で大活躍し、ユース昇格が叶わなかった横浜マリノスでプロデビューを果たすことになります。

中1〜2年の頃は技術で圧倒しチームの中心でした。しかし、中3に進級した頃から徐々に試合に出れなくなっていきます。体がまだ大きくなかったのが原因の一つかもしれませんが、当時のマリノスはシンプルにボールを動かすサッカーをしている中で一人だけヒールパスをしたりと軽いプレーが目立ったそうです。完全に上手さを勘違いしていたと当時を回顧しています。

迎えた全日本ジュニアユース大会。チームは優勝。ベンチから外れた中村俊輔選手は試合には目も向けず、苛立って不貞腐れた態度をとっていたそうです。コーチはそんな中村俊輔選手の様子をしっかりと見ており、いつかガツンと言わなければと泳がせていました。祝勝会の場に姿を見せなかった中村俊輔選手。そのことにコーチは気づき、気になって探してみると、会場の外で涙を流す中村俊輔選手を見つけました。

感情を抑えきれず、悔しさのあまり涙をする中村俊輔選手に向かって、「お前の気持ちをわかるぞ」とコーチは声をかけたそうです。あの時、怒鳴られていたら「俺はサッカーをやめていたかも」と後述しています。

めぐまれた環境でサッカーに打ち込んだジュニアユース時代。人工芝のピッチと空気圧が調整されたボール。一方で桐光学園では土のピッチに球拾い。慣れない環境の中で練習する時間さえ限られていた。

このままでは練習も出来ない。ジュニアユースでの失敗を繰り返したくない中村俊輔選手は、自分に何ができるのかを考える。そこで朝練を始めることにしました。誰よりも早くグランドに来ては、2年生と1対1を繰り返すなど、ひたすら自らの課題に取り組んだそうです。

「中学時代の自分は甘かった。成長するための課題を探すのではなく、目の前の現実から逃げていただけ。中学卒業間近のタイミングでそのことに気がつくことが出来た。高校では同じ過ちを2度と繰り返したくなかった。」と述べています。

その後の中村俊輔選手の活躍はご存知の通りです

 

【ストーリー②】中村憲剛選手の場合

「自分には何が必要かを考える」

中高時代は無名選手だった中村憲剛選手。その後、中央大学に進学しプロ入りの切符を掴む。当時は大卒選手の活躍は珍しく、中村憲剛選手の活躍以降、Jリーグチームも大卒選手に注目するようになりました。遅咲き選手の代表選手です。

高校入学時の身長は154cm。1年生からレギュラーがいるチームの中で中村憲剛選手は決して目立った存在ではない。その時から、「自分には何が出来て、何が出来なくて、試合に出るためには何をしたらよいのか?」を考えて練習する習慣を身に付けたそうです。

その他大勢に慣れてしまわない。自分には無理と自分の可能性にフタをしてしまえばそこまでです。常に考え続けて今の地位を築き上げました。また、練習をやりすぎると疲れが残り、その後のパフォーマンスにも影響が出るからと短く濃密な練習を心がけたそうです。このような取り組みも考える習慣に磨きをかけたと述べています。

「全ては自分にはね返ってくる。」この言葉は常々両親から言われていたものです。中村憲剛選手はこの言葉を胸に何事も手を抜くことなく取り組みました。学力も疎かにしなかった結果、無名選手ながらも中央大学に入学することができたそうです。

 

【ストーリー③】本田圭佑選手の場合

強いメンタリティーと高いコミュニケーションスキル

本田選手はガンバ大阪ジュニアユース時代は家長選手の影に隠れた存在。ユース昇格が叶わず、自分のことを誰も知らないチームで一からやり直したいと星陵高校へ進学。その後、名古屋グランパスから海外へと渡りACミランへ。ACミランで10番をつけるという子供の頃の夢を叶えました。

ガンバ大阪ジュニアユースには同じ誕生日の家長選手が君臨。トップ下のポジションは天才と称された同じレフティーのものでした。

パスやドリブルは標準以上のものがあったがとにかく走れない。当時の本田選手の評価でした。持久力やスピードに課題を抱え、サイドハーフやサイドバックなどのポジションでは走力の問題からか、全く良さを出せませんでした。

それでも、相当の負けず嫌いだった本田選手は、自分は負けていないと思い、「なんで俺は試合に出れへんの?」とコーチに主張していたそうです。それでいて、練習後もひたすら個人練習をするなどの努力も怠らなかった。とことんサッカーが好きで、自分の夢や目標があった本田選手には諦めるなんて選択肢はありません。

家長選手はプロの世界で試合に絡めない時、監督と話し合おうともしないし、主張もしない。意固地なところがあり、理解されにくい面があるそうです。今でこそ違うのでしょうが、こうしたパーソナリティの部分が一時期ポジション争いで苦労した原因なのかもしれません。

一方で本田選手は自分がどのように考えているかを躊躇なく主張します。誰にも負けないという強いメンタリティーと優れたコミュニケーション能力が本田選手をトップ選手に引き上げました。

 

【ストーリー④】内田篤人選手の場合

「もっとムキになってポジションを奪い返せばよかった」

南アフリカW杯に向かう日本代表は国内最後の韓国戦に敗北。その後、スタイルを守備重視へと変更。それまで主力選手だった内田選手は中村俊輔選手と共にポジションを奪われることに。

内田選手は、試合に出れないことが明らかになった時でも、まったく何事もなかったように振る舞っていたそうです。熱い感情も、冷たい感情も、どんな感情も見せない。サバサバしたようなその姿を見て、周囲に記者たちは、「もっとムキになってポジションを取り返す気持ちを見せたら」と思っていたそうです。

内田選手は強がって自分の弱さを見せたくなかったのでしょう。引退したあとの番組の中で、「あの時、なぜライバル選手を削って(くらいの気持ち)でもレギュラーを奪い返しにいかなったのか。現役時代の後悔はその一点です。」と語っていました。

内田選手は、こうした悔しい経験をバネにドイツでは闘える選手に成長していきます。巧くて速くて賢くて闘える選手として、日本代表の不動の右サイドバックの地位を確立しました。

 

まとめ

どんなスター選手にも悔しい経験がある。常に右肩上がりの成長曲線を描くことは不可能。目の前に壁が立ちはだかった時、どう対処するのか?ある選手は考え抜くことで、ある選手は強い気持ちで。大切なことは挫折しないことではなく、挫折から何を学び、どう強くなるかです。そんなシンプルで大切な事をスター選手の経験からも学びとることができました。

補欠に苦しむ選手たち、この経験を成長へのバネにしよう。お互いに頑張りましょう。

参考記事ジュニアユースチームの失敗しない選び方を紹介しています。

 

おまけ記事

サッカーのサポートいつもお疲れ様です。

お仕事や家事で忙しい中、送迎や食事の準備など頑張っていることだと思います。私の周りのお父さんやお母さんも熱心にサポートしている方が多く頭が下がる思いです。

これもすべて深い愛情ですよね。いろいろと口出ししたいことはあるかと思いますが、やるのは子供なので親ができることは、こうした献身的なサポートだけなのかもしれませんね。

レギュラーを奪い返すには、毎日のトレーニングアピールするしかありません。しっかりと休息をとって毎回のトレーニングで100%を出すことです。

我が家では食事だけでは補えない栄養をアスリート中高生の成長期を応援【アップグレードPRO】で補うようにしています。

妻も仕事を持っていて忙しく毎日の食事には気をつかっているのですが、なかなか完璧にはできません。

サプリがあれば必要な栄養を手軽に補えるので安心です。

 

 




-サッカー×補欠